ワールド王修会とは

ワールド王修会は沖縄を中心にヨーロッパ、南米、カナダ、アフリカ等など十数カ国、約6,000名の会員からなる国際的な空手ネットワークを持つ組織です。

ワールド王修会 委員会

ワールド王修会の三指針

ワールド王修会は活動指針を明確にするために「鍛錬」「究道」「調和」の三指針を掲げ日夜精進しています。

鍛錬とは厳しい稽古を積み、心身を強く鍛えることである。稽古の「稽」は考えるという意味で「稽古」の原義は「古(いにしえ)を考える」「昔のことを知り、今すべきことは何かを知る」である。その稽古を続けることで心も身体も鍛え上げられることとなる。稽古中の心は身体に影響を及ぼし、また身体も心に影響を与える。心と身体はお互いに関連作用を起こし、両者は常に同居しているようなものである。心も身体も、同じ動作を何度も繰り返し、練り上げていく事が肝要である。技法を媒介に心身を共に鍛え練り上げる、勇気ある不動の心をもつ人間像を目指すのが鍛練行である。

沖縄の伝統空手道古武道は、型に象徴されるように受けも攻めも常に前進である。その姿勢そのものが伝統空手道古武道の持つ思想であり哲学とも言える。 闘う精神とは、技法の捌き(受け)も後退ではなく前進であり、負けない引かない心の強さは勝利の鉄則である。いついかなる時も絶えず前進し、向上しようとする道を探究する姿勢こそ「究道」の意味するものである。言うなれば、伝統空手道古武道に限らず、物事はポジティブに考える事が、自分の勝利を呼び寄せる要因ではないだろうか。

人間は調和のとれた生き物だと思う。上下左右のバランスがとれ、その機能たるや素晴らしいものである。 その人間が残した空手の型もまた、前後左右を軸に、副線が加わり実に調和のとれた仕組みで構成されている。 沖縄の伝統空手は型が最も重視されている。その型の組み合わせや演武線の中に調和を見ることができる。 私達の生活の営みに付言しても、全て調和と不調和の関係で成り立っていると言えるかもしれない。 空手を介し、自己自身の調和、相手との調和、環境との調和を学び、心身共に安定し調和のとれた人間になりたいものである。

ロゴマークについて

ワールド王修会のロゴ

ワールド王修会のロゴワールド王修会のロゴマークです。「王」とは、小林流が首里手の流れを組んでいることと、唯一、一人者、覇道に対して王道の道を目指す意味が込められています。 「修」は人格をおさめ整えること、修養/修行/必修の意味があります。「会」は言うまでもなく、志を同じくする人達の集まりとの意味です。


ワールド王修会空手道のロゴ

ワールド王修会 空手道のロゴマークです。 真ん中には守礼の道を目指す沖縄のシンボル「守礼門」を掲げ、背景の青色は沖縄を囲む綺麗な海を示しています。


ワールド王修会古武道のロゴ

18枚の菊の紋章は幸福をもたらすことを意味し、真ん中の三つ巴は、三つの王国(北山、中山、南山)が一つに統合されたことを示す琉球王国の紋章としても使われていました。

沖縄小林流空手道について

空手は沖縄発祥の武道であり、その源流は琉球古来の武術「手(ティー)」と伝えられています。各国との交流の中で刺激を受けながらも琉球独自に発達した「手(ティー)」は、発展した琉球の各地域によってその技法や特徴が異なります。 琉球王国の王族を含む首里士族が主に修練した武術は首里手といわれ、主に首里地域で継承発展をしてきた系統のことを指します。その流れを直接汲む一つの流派が現在の沖縄小林流となっています。琉球王国の国王武術師範および御側役として仕えた松村宗棍先生(1809~1899)は、琉球王国末期の3代の王(17代尚灝王、18代尚育王、19代尚泰王)に仕え、さらに琉球を支えた多くの弟子を指導されました。その武名は「武士松村」として琉球全土に轟き、琉球の歴史に深く刻まれています。松村先生の高弟の一人、糸州安恒先生は同じく首里手の大家と呼ばれ、1901年には学校体育に空手を初めて取り入れ空手の一般普及に尽力されました。さらに、糸州先生は伝統的な型の指導法としてピンアン型を生み出し、技の指導方法、修練方法においても大きな功績を残されました。糸洲先生の高弟である知花朝信先生(1885~1969)は1933年、先代より受け継がれた技法や教えを守り、さらに正しく後世の発展に寄与することを目的とし、自身の系統を小林流と名前を付け1948年に沖縄小林流空手道協会を設立しました。仲里周五郎先生、宮平勝哉先生は知花朝信先生の直弟子として沖縄小林流を継承し、知念賢祐先生は仲里先生、宮平先生に師事し、首里手の流れを汲む沖縄小林流を継承されております。沖縄小林流の基本的な型はナイハンチとされ、最も重視する鍛錬型の一つでもあります。その他、主な型としてピンアン型、パッサイ、クーサンクー、チントウ、五十四歩などを継承しています。

1969年仲里道場にて(一番上列右から6人目が知念先生)

沖縄又吉古武道について

沖縄では、各武器術の習得における鍛錬の道を総称して古武道と称し、空手道と並び共に鍛錬を行います。琉球王国時代より各種の武器術は日常生活に使う道具から発達し、首里・那覇を中心に普及したと伝えられています。当会の古武道系統は又吉家を中心に伝えられてきた又吉古武道です。又吉古武道は又吉眞珍先生によって体系付けられ、眞光先生によって後に発展を致しました。又吉眞光先生の実子、又吉眞豊先生は沖縄古武道の第一人者としてその普及発展に尽力をされ、1970年に沖縄古武道連盟を設立しております。1972年には第1回の古武道演武大会が行われ、古武道の本格的な普及が急速に始まりました。又吉古武道は今や沖縄だけでなく世界中で広がり稽古されています。当会の会長であります、知念賢祐先生は又吉眞豊先生の直弟子として師事をされ、又吉古武道を継承されております。 沖縄古武道で使われる主要な武器は、棒、釵、トンクァー、ヌンチャク、杖、三節棍、ヌンテイ、櫂(エーク)、鎌(イラナー)、クワ(鍬)、ティンベー、スルチン、手甲などがあります。

又吉眞豊先生と知念賢祐先生

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